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2020年5月8日

(教育遺産のみどころ)一張一弛~徳川光圀と斉昭の理念~

水戸藩第2代藩主徳川光圀は、歴史書「大日本史」を編集するにあたり、研究所ともいえる彰考館を江戸、次いで水戸に創設し、全国から優れた学者を招きました。

ところで、当時学者の給料は、江戸幕府で将軍の側近として幕政改革を推進した学者新井白石が1000石※でした。それに対して、35万石の水戸藩の彰考館総裁の佐々宗淳が300石ですから、水戸藩での学者への待遇は比較的良かったといわれています。

また、光圀は働きづめでは逆に効率が下がると考えました。そこで、彰考館では月10日ほどを休日と定め、それとは別に年末年始や数日の決まった日も定休日としました。さらに、勤務中の館員には食事を支給し、休憩時間にお茶やお菓子、時には酒も出されました。帰宅前には彰考館で入浴することもできました。今風にいうと福利厚生制度が充実し、「ホワイト」な職場だったとも言えるでしょう。

このような考えは、第9代藩主徳川斉昭にも受け継がれました。斉昭は人材を育成するにあたり、弓を張ったり弛めたりする「一張一弛」になぞらえ、緊張とリラックスのバランスが大切であると考えました。

斉昭は1841(天保12)年に水戸藩士たちが学ぶ場として藩校弘道館(張)を創設するとともに、翌1842(天保13)年に領民も含めて多くの人々が修養できる偕楽園(弛)を開園させました。弘道館と偕楽園は対をなす教育遺産といえるのです。

光圀や斉昭の理念に思いを馳せつつ、弘道館で勉学に励び偕楽園で千波湖の眺めを楽しみながら梅や桜といった季節の花を愛でる・・・。江戸時代の水戸の人々の様子を思い浮かべながら弘道館や偕楽園へ訪れてみるのも、面白いかもしれません。

※1石=約150㎏。1両でだいたい1石の米が購入できました。1両を今の金額に換算するのは難しいですが、だいたい5万~10万円程度ともいわれています。

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